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サターンV型ロケットは、アポロ計画で使用された液体燃料多段式ロケットです。1968年から1973年までの6年間で合計13機が打ち上げられました。アポロ宇宙船の爆発事故によって月に着陸できなかったアポロ13号を含めて、打ち上げはすべて成功しました。全高、総重量、ペイロード(搭載物重量)などの点において、それまでに作られた、いかなるロケットよりも巨大で強力なものでした。
人類が月に第一歩を記し、各国が競って月に探査機を送るようになった21世紀まで、サターンV型ロケットの模型を中心に、月への挑戦の歴史を紹介します。
【宇宙開発競争時代】
月への挑戦は、旧ソビエト連邦の「ルナ計画」、アメリカ合衆国の「レインジャー計画」「サーベイヤー計画」という三つの無人計画によって始まりました。月のほとんどの場所についての地図が作成され、有人探査計画がスタートしたのです。
アメリカ合衆国は、アポロ11号を初め、計6回の月面有人探査を成功させましたが、旧ソビエト連邦は、ロケットエンジンの爆発事故などで、月への有人探査を行うことができませんでした。
【アポロ計画】
アポロ計画は1961年、当時のアメリカ合衆国大統領ケネディが行った、「1960年代が終わるまでに、人間を月面に着陸させるという目標を達成するために我が国は全力を尽くすべき」という歴史的な演説により始まった有人月探査計画です。1961年から1972年にかけて行われ、1969年7月21日午前5時17分(日本時間)に、アポロ11号が初の月面着陸に成功しました。人類がはじめて地球以外の天体に到達した瞬間でした。アポロ計画全体では、計6回12人の宇宙飛行士が月面に送り込まれ、計381.7kgの月の石を持ち帰りました。
【ふたたび月へ】
その後しばらく月探査は行われませんでしたが、1990年に打ち上げられた日本の衛星「ひてん」はアメリカ合衆国、旧ソビエト連邦以外の宇宙機として初めて月に向かい、月の周りを回りました。アメリカ合衆国も無人の探査機を送り、月全面の調査に成功し、詳しい地図を作りました。
さらに、2007年には、日本は月周回衛星「かぐや」の打ち上げに成功し、月全体の地形図を作り、表面の組成、重力異常など15種類もの観測を行いました。ハイビジョンカメラによって撮影された美しい映像も広く紹介されました。
月探査は、中国、インドも精力的に行っています。
【月にのこる謎】
月は、他の惑星の衛星と比べて地球に不釣り合いなほど大きな衛星です。また、月は常に地球から見える表側と裏側の様子がかなり違っています。内部に地球と同じような金属でできた中心核(コア)があるかどうかも分かっていません。このように、月には「大きさ」「表と裏の違い」「内部の構造」など、いくつもの謎が残されています。
参考資料
Full Moon(1999)Michael Light (新潮社)
月の科学(2000)Paul D.Spudis 著 水谷 仁 訳 (シュプリンガー・フェアラーク東京)
月のきほん(2006)白尾 元理 (誠文堂新光社)
文 学芸課 天文係