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科学館(展示室)の外に、水力発電所で使われた水車が展示してあります。電気、電力、発電などについて理解を深めていただきたいと思います。
【大井発電所の水車】
1924(大正13)年、関西電力の大井発電所の運転開始時に使われた水車です。大井発電所は、木曽川という大河川をせき止めたわが国初の本格的なダム式発電所として計画されました。水車は、直径約2500mm。重さ約5トンの巨大な鋼の塊です。アメリカ・アリスチャルマース社製で、1924(大正13)年に製造されました。
【フランシス水車とは】
発電機を回転させると電気が生まれます。巨大な発電機に水車を取り付け、水の力で水車を回転させて発電する方式が水力発電です。そこに使われる水車にはいろいろな形式のものがありますが、このフランシス水車は、大規模な発電所に適した形式です。発案者の名前をとってフランシス水車と呼んでいます。
フランシス水車の原理は次のようなものです。円周方向の外側から水を取り込み、内側に水を流したときの反動で水車を回転させます。内側に引き込まれた水は中心部から下に落とします。高速回転する水車に固定された発電機から電気を取り出します(図)。
【ダム式発電】
大井発電所以前の発電所は、水路を作って川から水を引き込み、下流まで距離をとって落差を稼ぎ、そこで水車を回した後に水を本流に戻す水路式発電方式でした。本流から水を引き込む水路を築くだけですから、高度な技術も不要で小規模な発電形式です。
これに対し、最初、京都の宇治川支流の志津川に初めて発電用のダムが築かれました。なぜダムだったのでしょうか。ダムによって大量の水をためこみ、そこで発電所(発電機)までの落差を作ります。これが水車を回転させる動力源になるのです。
しかし、志津川ダムは堤高、38mと小規模なものでした。大井ダムは堤高、53mと巨大なもので、50mを初めて超え、かつ木曽川という大河川の本流をせき止めたことが重要です。
このダムを作るために、アメリカ・シーボースターアンダートン社から4名の土木技術顧問団が招かれ、ショベルなどの最新の土木建設機械が導入されました。また、工事中、関東大震災が起きたために銀行が資金不足となり、初めてアメリカの外債によって建設資金を調達したことでも知られています。
【名古屋ではなく大阪に電気を】
大井発電所の運転開始は1924(大正13)年のこと。当時の名古屋はまだ産業が育っておらず、大井発電所を始め木曽川水系の発電所でつくった電力はすべて大阪に送電されていました。
大井発電所が計画されたのは1918(大正7)年のことで、第1次世界大戦による好況の時代でした。電力需要は増大し、大規模な発電所が求められた時代でした。しかし、竣工した1924(大正13)年には、大戦後の大不況の時代で、作った電力をどう消費するかが問われる時代になっていました。
最後に余談ですが、大井ダムでせき止められたダム湖によって生まれた名勝が恵那峡です。
協力
関西電力株式会社
参考資料
あいちの産業遺産を歩く(1988) 愛知の産業遺産・遺物調査保存研究会(中日新聞社)
文 学芸員 馬渕浩一