名古屋市科学館

科学館を利用する > 展示ガイド > キーワード検索 > 「お」ではじまるキーワード > キーワード【屋外】 > 市電1400型ボギー車

展示ガイド

市電1400型ボギー車

展示解説をPDFでダウンロード

X102-photo.jpg

X102-pic1-jp.jpg

X102-pic2-jp.jpg

展示作品の狙い

 科学館(展示室)の外にも、名古屋にゆかりの深い市電を展示しています。交通、電車、電気などについて理解を深めて頂きたいと思います。

知識プラスワン

【1400形車両とは】
 名古屋に市電が登場したのは、1898(明治31)年5月のことでした。笹島町から県庁前(現在の中区役所付近)の区間で営業運転されました。名古屋電気鉄道によるこの事業は、京都に次ぐ全国2番目の快挙でした。1922(大正11)年に市営となり、1974(昭和49)年に全線廃止されました。
 この1400形車両は、名古屋市電気局や日本車輛の技師が設計し、1936(昭和11)年に製造されたものです。それまでの車両は重く、電気の消費量が大きい欠点がありましたので、これを解消するために軽量化を目指し、また流線型のデザインを取り入れるなどして生まれました。それ以前の車両から大きくモデルチェンジした画期的な車両で、かつ、昭和戦前期の日本の路面電車を代表する形式のひとつといえましょう。
 1400形は、1936(昭和11)年12月から1937(昭和12)年2月にかけて、まず20両が製造されました。汎太平洋平和博覧会の観客を輸送する目的でした。その後も5回にわたって増備され、1942(昭和17)年4月までに総計75両が製造されました。
 戦後も同じ形の流れをくむ車両が何台か作られましたが、多くは廃棄されました。最後まで生き延びたのがこの1400形でした。
【台車の構造】
 ボギー台車を装備していることにも特徴があります。ボギー台車とは、車体に対して水平方向に回転可能な装置を持つ台車の総称です。ボギー台車をもつ車両のことをボギー車とも呼んでいます。
 車体の短い小型車では、2本の車軸と車体を直接サスペンションでつないでいました。次第に輸送能力を上げるために車両が大型化し車体が長くなると、固定車軸では曲線の軌道上を走行することが困難になってきました。
 そのため、車体とは独立してある程度回転できる機構をもった台車が考案されるようになりました。これがボギー台車です。
【名古屋の発展と市電】
 1937(昭和12)年は、名古屋が大きく発展した年でした。2月1日に、笹島町から現在の場所に名古屋駅が移転し、当時、東洋一の鉄道駅といわれるようになりました。続いて、3月3日、24日には、東山動物園内に、それぞれ植物園と動物園が開園し、近隣から多くの観光客が訪れるようになりました。そして、3月15日から5月31日、熱田前新田(現在の港区港明町付近)で名古屋汎太平洋平和博覧会が開催されました。
 これらに合わせて市電も、西、東、南に延伸されるとともに、「博覧会にふさわしい世界一の電車」と「将来の名古屋市電のスタンダードモデル」を合言葉に1400形が製造されたのです。

 


【 参考資料 】

協力
名古屋市交通局
参考資料
市営交通70年のあゆみ(1992) 名古屋市交通局(名古屋市交通局)
名古屋市電が走った街今昔(1999) 徳田耕一(JTB)
文 学芸員 馬渕浩一

 

ページ先頭へ